遊学のススメ


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 「遊学」の概念

  ※松岡正剛氏の著書より抜粋 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

■ 「遊学」は自在への出立である。


■ 一所から他所へ赴くのが「遊」の本義ならば、一所にいて他所を徘徊するのもまた「遊び」である。・・・ようするに「遊」とはどこへでもどのようにでも赴けるということである。

■ 一本の朝顔でさえ全宇宙を必要としている。別の言い方にすれば、宇宙を語るのに天体望遠鏡がいらないこともあれば、朝顔を語るのにも天体望遠鏡が必要だということである。

■ 「遊学」はこの気持をいささか学問にもあてはめている。生物学から言語学に赴くこと、民俗学から物理学を渉猟すること、音楽が建築を食べること・・・そして一事が合財たらんとすること、そこに「遊学」の酪味も蘇味も醍醐味もある。これは、部分が全体を含みうるということでもある。

■ 三〇センチのものさしはどう考えても三〇センチである。しかし、もしそこに「点」の数を数えようとすれば、たちまち三〇センチは無限の「点」を含みうることになる。三〇センチのものさしを前に、この「点を数えてみる」という着想をもつことが、ひとつの「遊学」の基礎になる。

■ これは学問の端緒に帰るということにほかならない。直立二足歩行をしはじめたヒト族にとって、もともと生物学も物理学もなかったのである。あらゆる思索はひとつのものから派生した。「遊学」はそのような「未分化の復権」を希うものでもある。

■ ・・・現代においては一枚のポラロイド写真にさえ、あらゆる諸学が集中する。そのカメラはシャッターを切るたびにアインシュタインがノーベル賞をとった論文の内容を再現していた。「遊学」は学問のみならず、そんな日常茶飯事からもやってくる。

■ すでに現象や事態の方が遊学的なのだ。われわれは、その自在に遊び戯れている現象や事態に対し、あまりにも枠組と階級を与えすぎてきた。分類に血道をあげすぎてきた。また「自分」というテリトリーを保持しすぎてきたようだ。「自ら分ける」と綴って「自分」とは、よくしたものだった。しかし、ここでちょっとは踏んばって遊びなおさなければならないだろう。もうこれ以上の情報分類に押しつぶされる必要もないだろう。

■ <遊塾>はその日その日が終わる刻限になると、誰からともなく居ずまいを正し礼拝をしたものだった。私はそのとききまってこう言った。---「誰でもないものに、礼!」(『遊学大全』解説に代えて・松岡正剛)

■ 「遊学」とか「遊」という思想とは何かを考えると、こっちに何かひとつあって、対偶関係として向こう側にXとかYとかわからないものがあっても、対角線で結びあうようにそのふたつを組み合わせながら進もう、というのが「遊」なんですね。・・・手元にはいくつかあって、先に何があるかはわからない。手元のものが既知で、向こうのものが未知なんじゃなくて、手元と向こうとで既知も未知も組み合わせながら進むのが、「遊」なんですね。
(『スペクタクル 能勢伊勢雄 1968-2004』出遊するOKINA・松岡正剛)

■ 「遊学」というのは、私が確かに言い出したけれども、能勢さんによって「遊会」も今日に至るまでずっとやられているのだから、ここにはローカルとグローバルが一緒になっているんですね。「遊学」というのは、常に出力と入力というものにフィードバックをかける、それをこの岡山の地でやっているんだと思います。私たちは情報とかシステムとか生きるとか表現するとか、いろんなことをしているわけですけど、その本質に何があるかというと、あるものから出力したものが外側に出てフィードバックがかかり戻ってくるループというものに、毎日つきあっているわけです。(『スペクタクル 能勢伊勢雄 1968-2004』イベント記録・松岡正剛)

■ 「メイン」に対する「サブ」ということの重大さについて、こういう話はどうでしょう。本当にすごいものを作るには、さっきのデジタル・メディアのようなものは、汗をかき、ホームレス状態であることが大事であり、向こう側からリバース・エンジニアリングでハッキングする必要があるのではないか。僕は、自分の情報や思想活動をハッキングされるように『遊』を作ったし、今もそうやっているのです。ほとんど、こういうことをしゃべったことはないのですが、僕のメソッドの中には、密かにではなくて誰でも気付けるけれども、僕がやっている情報を向こう側から取ってくることが可能なようにしているわけです。独りよがりは嫌いです。ただし、取ってくるときに、僕が作った情報とは別のブラウジングするわけだから、それが「遊学」としても、「編集学校」としても、何もかもある。そこにズレや冗長度やエマージェンスも出てくる。そこがおもしろい。本当の思想というのは、リバース・エンジニアリングなんですよ。(『スペクタクル 能勢伊勢雄 1968-2004』イベント記録・松岡正剛+能勢伊勢雄)

●「ねぇ、口で語られる物語の如く移ろい行き、融けて幻に似た無に還元されてしまう物質の将来について語ろうではありませんか」(稲垣足穂)

●「好きなもの苺コーヒー花美人、懐手して宇宙見物」(寺田寅彦)

 


 

 

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  「岡山遊会について」遊会はこうしてはじまった

「スペクタクル能勢伊勢雄1968-2004」図録より

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●『遊会』は毎回あらかじめ定められたテーマについてチューターを設定し、その人の観点をとっかかりとして話しが進められている。ここには「どのような魅力があるのだろうか。そのような“場所”なのだろうか。引き金になったのが、編集長・松岡正剛による『遊』であるなら、その何に共振してきたのであろうか。

 

●現代においては、専門分野が細分化し隣の分野でさえその問題としていることが

理解しがたい状況がある。しかし、『岡山遊会』のメンバーは、特定の分野の人々ではなく、さまざまなテーマを持って活動し、語る場所を求めて集ってくる人々である。人が活動しテーマを持っているのは生きている上であたりまえのことであり、誰も中心にはいず、それでいて誰もが中心である“場”である。

 

●ここでは、権威に捕われることなく感じることや視えたことを率直に語ることができ、“カッコウ”をつけることもない。その時まで知らなかった言葉や使えなかった概念なども、その都度吸収していけばよいことである。そんな知識などのことを気にするよりも、いくつもの渦の中に自身を置いた時にどのように動くかを発見するスリリングな時間を楽しむ方が重要である。他の人の言葉を受け取りそれを自身のものとして発語していくうちに、最初に聞いていた自身が変化しているのを発見した時の驚きが重要である。それゆえ自身の全生命を背後に語る必要もあるだろうし、それゆえ裕度を持った遊度も必要だろう。

 

    ●誰かが語り始める時、“概念工事”が始まり、予想も

    しなかったものの関係が視えはじめ、ぽつぽつともら

    した不思議な一言が全てのものを照らしだす時もある。

    そんな時、多くの言葉を必要とせず、直観により確認

    できるものである。こうあらねばならないといったモ

    デル化された遊会はなく、アメーバのごとく、粘菌の

    ごとく、素粒子の運動のごとく変化しつづけるのが遊

    会なのである。

 

●何ができるのかわからず、何が起こるか期待をもつことで始まった『岡山遊会』は何ができて、何が起こったのだろうか。目的があればその目的を達成した時には、終了する事になるだろう。継続し、何が起こっているのか確認しつづけてきたということである。従って、その成果を形として見ることは不可能である。しかし、何かが起こっているのは確かだろう。

 

●決まった時間を設けて、決まったところで話をすることだけが“遊会”ではなく、あらゆるところで、始まったら最後、ENDマークは用意せずに、人が集ったところから沸き上がってくる“場”を遊会とよんではいけないだろうか。だが、ただ集って話しをすれば“遊会”になるとは限らない。それはそれなりに姿勢が必要である。

 

●松岡正剛がおこなった遊塾では、毎回最後に「礼」があったという。「何者でもないものに、礼。」われわれを支えているものに礼が必要である。相手を受入れることから語りはじまり、相手はすべてを背負ってそこに存在しているのである。

 

●(チューターとテーマについて)

世の中にはさまざまな参考文献があり、さまざまな人の論考があり、注目すべき対象も多くある。それを紹介することが目的ではなく、各人の持っているテーマをどのように遊会のテーマと結びつけ考えることができるか、いかに自身の足下から対象を照射できるか、どうしたら世界を切り込めるか、工夫するのである。レジュメも、図解あり、引用あり、編集しつくしたと考えられた時に遊会で配布される。単なるメモではないのである。しかし、もとより専門家ばかりが集まった会ではないので、徹底したアマチュアリズムを通すことになる。そこには、新鮮な視線と気楽さがある。領域を限定した不自由さはない。

 

●雑誌『遊』や工作舎、その出版物を知っている方には馴染んだ「科学的愉快」「遊星的郷愁」といったコピーも雰囲気を伝えるものであるが、具体的に交わされる話しの特徴は、次ぎのものがあると思う。

 

1)対話、会話

2)ジャンルの横超

3)アマチュアリズム

4)冗談性、気軽性

5)世界の関係性

6)ものの本質の探究

 

●遊ぶことからはじまり、超えていく。そして、対角線を折りその中で関係を発見していく。さらに、それが様々なところに使っていくのが遊学である。しかし、それは、ただ突飛な素材を組み合わせただけの新しい料理のメニューなどではなく、化学反応でできる新しい化合物となるものである。

 

●飛行機の歴史は堕落の歴史である、と言った人がいたが、自然に対する人工性=人工自然を語ることが“遊学”の精神でもあるように思う。原自然にはない「言葉」を使い、物を製作して、概念を表していく。人が介在して現れたすべてのものが人工自然となり、自然を人の側に持ち込むことである。

 

●それは、石蹴り遊びから科学を語ることにもなり、宗教史を語ることにもなり、国家論にも発展し、音楽を語ることから、経済を語ることに発展し、詩を語ることから、建築を語ることにも発展していく。

 

●そこには、人類の初めのひとりが棒切れを持ったときから、いやDNAが合成されたときから、いやいや宇宙が生成されたときから流れ続ける精神が通っており、今に至り、どのようになったとしても今後も貫いていくはずのものがある。

 

●人間を含めた自然の中にあって、手にとって触れることができるもの、耳で聴くことができるもの、眼で見ることができるもの、そういったものの後ろにあるものである。関係性をつなぎ渡していくことで、ようやく輪郭を伝えられるものである。

 

 

 

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  遊学の場 〜岡山遊会について  松岡正剛氏

 「スペクタクル能勢伊勢雄1968-2004」図録より抜粋

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「遊学」とか「遊」という思想とは何かを考えると、こっちに何かひとつあって、対偶関係として向こう側にXとかYとかわからないものがあっても、対角線で結びあうようにそのふたつを組み合せながら進もう、というのが「遊」なんですね。

 

だから、白川静さんの「遊」という文字の解明や説明もそうですが、未知のところに、「出遊」していく、その未知の向こうには、道がないわけです。そこに道をつくるのが「遊」ですから、既存のもの、きちんと道があるところで、「ここが好きだ」と言って遊ぶことが「遊」ではないんですね。手元にはいくつかあって、先に何があるかはわからない。手元のものが既知で、向こうのものが未知なんじゃなくて、手元と向こうとで既知も未知も組み合せながら進むのが、「遊」なんですね。

能勢さんの研究会の場合でも、そういう意味では「遊会」や「遊学」という名前が使われたのは、おもしろかったかもしれませんね。でもこれは僕の力ではなくて、「遊」という考え方の、元々の力ですよ。それは中国にも老荘にもあったし、プロティノスやプラトニズムにもあったし、あるいはアボリジニとか縄文人にもあったもので、「遊」というものがもっている凄さですよね。

 

先ほど述べたように、世の出来事の大半には始まりがあって終わりがあったり、ナム・ジュン・パイクが「ビデオには終わりがあるんでねぇ」とかと言っているのと同じで、そういうものがライヴとかお店にも開店・閉店というかたちで起こりますよね。一方、雑誌というのは、ランダムに置かれてある、湯葉を束ねたようなものなんです。折りたたまれているものだから、何とでも、いつでも見られる面はある代わりに、たった一回という制限性のなかで際立って燃焼するものじゃないんです。

 

今の世の中の雑誌は消えていくためにつくっているけれども、僕は絶対に違っていて、『遊』を出したころに、今月これがでてその場で消えないもの、逆に5年経っても10年経っても「遊」をいじりたくなるような『遊』をつくろうと思ってつくったんです。「遊会」と『遊』にはその違いがありますよね。だから、『遊』というメディアと、ペパーランドという拠点は、連動してますけれども、やっぱり、店のもっている良さの点で遊会の特色はでていると思いますね。あれは雑誌にはできないことだと思います。